現 関門製糖株式会社
北九州市門司区 http://www.kigs.jp/db/kprofile.php?kno=10
オートメーション化に伴う現場オペレータの再教育
(1)教育目標の設定
(2)学習システム(プログラムテキストと教材)の開発
(3)教育実施の援助および担当者の養成
1976年~1977年
<大日本製糖(株)技術部次長(当時) 安倍晋一氏の寄稿 (1978. 8)より>
能開センターに初めて御伺いしたのは1975年6月のことでした。
わが国の製糖工場の中で最も古い門司工場(D3工場)の現有設備を生かして、そのコントロールシステムを最新鋭のものし、工事完了後は製造・保全とも運転員による自主管理の工場とする、という構想で検討に入り約一年、設計は順調に進行していましたが、絶えず気になっていたのが従業員の教育についてでした。
歴史が古いということは、他面保守的であり改革に対し抵抗がありがちでもあります。その風土で現在員を1/3に減じ、従来の単能業務を多能化せしめ、しかも生産を自主的に管理させることが果たして可能なのか。平均年齢40才、しかも40以上が60%を超える条件下で高度に計装化させたシステムに適応できるか。メーカーとの打ち合わせでも幾度かその対策を検討したのですが、メーカーのトレーニングスクールでの講義中心で若干の実習を行うという既存の方式の提案にとどまり、何かしっくりとせず時間のみ進行している状態のとき、計装メーカーのご紹介で能開センターを訪れることになったのでした。
センターで過去に研究開発された技術技能の訓練システムの数々を見せていただき、従来の技能教育と異質な印象を持ち、さらに矢口先生(当時の所長、矢口新)より働く人の側に立つ企業教育、また人間尊重の真の教育とはと説かれ、一層大きな感銘を受けました。これこそ私の求めていたものではないかと思いつつ、他面この考え方をどのように社内に受け入れさせるかを悩みながらセンターを辞しました。
再度センターを訪れたのはその年の暮れだったと記憶しております。さらに、社内上司および労組幹部の了解が得られ、センターとの共同開発契約が完了したのが翌年の2月末。わが社にとり画期的教育の曙でした。
<協立エンジニアリング(株)社長(当時) 兵頭 暁 (1990.4)の寄稿より>
当時、大日本製糖門司工場の従業員は平均年齢40歳、みな現場の受持ち作業には熟達してはいるものの、自動制御は言うに及ばず、電気などは大の苦手という人ばかりです。そういう人を全自動のオートメーション工場で働くことができるように育てるための教育です。
私は当時、既にいくつかの製糖工場の自動化を行っていましたが、従業員のレベルアップなしには決してうまく運転されないということも経験していました。そこで、大日本製糖の方々に、ぜひとも従業員教育をやっていただくようにお勧めし、私も効果的な企業内教育を調査しました。そして、日航乗員訓練所で紹介された能力開発工学センターの矢口先生(前所長)こそ、私の求めているものと信じてお願いにあがりました。
非常に困難なこと(学習効果)を期待していましたので、数度の門前払いをいただいたのが昨日のことのように思い出されます。
<JADEC研究紀要36号(1977)より抜粋>
<安倍技術部長の談>
IFDという計装のフローダイアグラムは、従来は設計屋の見るもので、一般運転員は読みこなすこともできなければ、見る力さえない。それを今回の教育では、工場を休止して建て直している間に、新工場を研究する材料として使ったわけです。実際の運転に入って、当然初期故障がいろいろおこりました。すると一般の運転員が、ポケットにつっこんでいたこのIFDをさっと取り出し、どこが問題かを判断し、現場へとんでいってその場所を処理するということをやりました。これはもう(ここまでの教育の)立派な成果だと思っています。(仕事に対して)非常に興味をもってやるという姿勢が出てきました。
<協立電業兵頭氏の談>
試運転がこのようにスムーズにいったことはない、運転員の全員がズボンのボケットにIFDを押し込んで走り回る姿はかつてない感動的な風景だった。
<関門製糖(株) 山門 氏からの通信(2006.6)>
昭和51年(1976年)にD3工場の整備工事を実施しました。これは、業界の再編合理化の進行する中、会社の生き残りをかけた事業でした。当社のD3工場1904年に建設されたもので、レンガ造りの壁が多く天井の低い建物に設備が配置されており、その結果、設備点数が多く、見通しが悪く運転操作性においてた他社の新鋭工場に比して大きなハンデとなっていました。これを克服するには、高度の自動化を導入し、通常運転においては現場操作をなくし、CCRより運転監視し、より少人数で運転できるようにすることが第一の課題でした。
これについては、エンジニアメーカーの指導のもと、現場作業の調査解析から進め、信頼性のあるハードとソフトを備え、マンマシンコミュニケーションの上からも十分満足できる設備が実現できました。
第二の課題は従業員教育。当時従業員120名ほど。5~6つの工程に分けられ、各工程あたり直4名で運転していました。社員の年齢は50歳以上が約35%で、このメンバーが高度自動化された設備の運転に順応できるようにしなければなりませんでした。狭い担当工程の範囲で仕事をしていた従業員たちが、全工程を見通す力をつけなければならない。また、それまでの部分的な自動化設備の運転とは異なって、100m先の見えない機械の運転するCCR運転に移行するには、システムの安全性・信頼性の確信と同時に、計装知識,シーケンス制御に対する不安を解消する必要がありました。
それらの問題の解決を、能力開発工学センターのプログラム学習に委ねました。教材作成準備・教育実践チームを作り、能開の指導を得ながら、開発された学習プログラムによるグループ学習を進めました。プログラムテキストを片手の、シミュレータ操作や現場実機の調査、新設備設計図の解析など、行動主体の自己学習です。
工事開始前は直の前後の時間を活用し、また工事期間の6ヶ月はフルに活用しての全員対象の学習でした。
自動化工事完了し、CCR運転を順調に立ち上げることができ、年配者を始め、行動すること学習することに動機づけができたことが、大きな成果でありました。その後の会社の更なるレベルアップを目指したさまざまな活動を展開するスタートとなりました。
工場の現在あるのは、D3整備事業のおかげだったと思います。当時活躍した先輩たちがいて、今私たちがいます。D3事業と、能開学習システム導入をステップとして、人と組織が変革することを体験しました。やればできる集団、考える集団、社会に貢献できる集団を目指して、これからも進みます。
<協立エンジニアリング(株)社長 兵頭 暁氏からの通信(1990.4)>
生産システムや工場の中で働く人たちが、各々の目的に沿った効果を発揮し、システムもそのように機能すると、人間も機械も「全機現(全部の細胞・機能・技術・能力を現す・発揮する)」し、すばらしい場が発現します。矢口先生,能力開発工学センターは、常にそういう理想を追求されていました。しかし、そのような場は簡単なことではとてもできない、ということを厳しく教えていただきました。
結果的には、ユーザーの努力もあり、能開は成功されました。現在このようなケースは、数多く必要とされています。経験を生かされ普及していくことを心から願っています。
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