別巻編集の 意図と構成 |
元富山県個別化研究会会長 加賀谷新作 | |
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寄 稿 | 富山県戦後教育の発展と矢ロ新 | 元富山県教育委員会企画調査室 竹長敏夫 |
矢ロ新発案の教育センター方式 | 元富山県科学教育センター所長 加賀谷新作 | |
地域の建設と教育の創造 <資料> 課題分析のための農業実態調査に関する資料 |
元北加積小学校校長 荒館 実 | |
一青年教師の思い出 | 元北加積小学校校長 奥平 正 | |
矢口教育学と富山県学習個別化研究会 | 元富山県個別化研究会会長 加賀谷新作 | |
特別寄稿 | 私の出会った矢口教育の神髄 | 富山県教育委員会委員長 屋敷平州 |
座談会 | 富山県における矢口新の実践と研究 | 矢口新と長年にわたって交流のあった諸氏(屋敷、加賀谷、竹長) |
年 表 | 個別化への道 |
矢口新と富山県の関係は、既述のとおり昭和20年代後半より没するまでおよそ40年の長きにわたる特別なものである。この間矢口は、大きく次の三つの領域で富山県教育界に強い影響を及ぼした。第1は富山県総合教育計画の策定と展開について、第2は県内の市町村地域の教育開発、第3は県下の現場教師の指導である。戦後の富山県教育は、矢口教育学抜きには語ることができないといっても過言ではない。さらに、矢口教育学が研究開発した新しい学習システムは、主要なものは全て富山県の教育現場で教育実験を行って検証し、その結果が報告されている。富山県は、矢口教育学の実践展開の場であったということである。富山県教育は矢口教育学によって開発された側面を持ち、また矢口教育学は富山県での実践展開からフィードバックを受けて積み上げ新しい展開を続けたということができるであろう。このような視点から別巻として構成した次第である。
第1部は、富山県総合教育計画の策定と展開に矢口新がどのようにかかわったかを中心にまとめたものである。
第2部は、地域教育開発のモデルとして北加積地区(富山県滑川市)で実践された社会科カリキュラムの開発と実践(「社会科教材研究」1959年、法政大学出版局)を収録した。
第3部は、現場教師との接点であった小・中・高の全県組織である学習個別化研究会とのかかわりを中心にまとめ、年表を添えて全体の流れを示した。各部には、それぞれ当時矢口新の指導を受け、現場の推進役をつとめられた方に解説を寄稿していただいた。
巻末には、長年にわたって富山県教育を指導推進してこられた屋敷平州氏からの特別寄稿文と矢口教育学と特に関係の深かった3人の方の座談会が掲載してある。